アカウントすぐ消すマンについて
様々なSNSでアカウントを鼻かむティッシュみたいにしてきた。
これがこのブログ最初の記事である。察して欲しい。
SNSの中でも一番ポイポイ使って捨ててをしてたのは、自分の場合ツイッターだ。
ツイッターでは一度アカウントを消しても、同じメールアドレスでは三ヶ月は新しくアカウントを作れない。
しかもその間うっかりログインでもすると消したアカウントが復活するようになっている。(この機能をありがたがる人とそうでない人、どっちが多いのだろうか)
メールアドレスがないとすぐに新しくアカウントは作れないのだが、情弱の癖してメールアドレスを気軽に増やせる方法を知ってしまい、ここ2,3年は1年に3回くらいのペースでアカウントを乗り換えている。
振り返りたい思い出はそこまでないのでアカウントを消したことは後悔はしていない。
だがアカウントすぐ消すマンな自分の人格はどうかと思う。
最近はリア垢を消した。
いい機会だったので自分の心理を自分なりに見つめてみたものを晒す。
もし何かの参考になれば幸いである。何の参考になるんだ。
理由1:苦手な人と角を立てずに別れたい
2年くらい前に、中学時代の先輩がアカウントを新しく作った。
元のアカウントは消し方が分からないとのことで今も残っているが、もう使われていない。アカウントすぐ消すマンである私はもうそのアカウントをフォローもしていない。
「繋がる人をちゃんと選び直したい」という理由で消したと仰っていた。
「あぁ~分かります~」とか返した(気がする)
アカウントすぐ消すマンはその手の感情が衝動的に、かなりの頻度でやってくる。
付き合う人を選ぶのが下手、人を苦手になりやすい、すぐコミュニケーションが重荷になる…要は社会性が欠如している。
人間関係を軽視しているつもりはないが、自分がちょっと相性が合わないと感じた相手に対する耐性がまるでない。
関わるのをやめたい。
ミュートで相手を見ないようにする程度じゃだめなのだ。
なるべく関係を断ち切りたい。
しかし一度でも知り合った人間が関係を断ち切るというのはかなり難しい。
ツイッターには、ブロックという機能がある。
(苦手な人からのフォローを外し、自分のツイートを相手から見えなくするように出来る)
それでも不十分なのだ。
なぜならブロックしたところで「前は相互フォローする仲だったけど今はブロックした」というとげのある関係は残る。
もし相手が自分にブロックされたことに気づいたら最悪だ。
「ブロックされてる…」とか呟かれる!加害者みたいになってしまう!
個人的に、関係を断った状態として一番理想的なのは忘れられることだ。
アカウントを消せば「ブロックされた」などと、とげを残さずに自然消滅できる。
あなたが嫌いなんじゃなくてみんなとお別れすることにしたんだよ、というアピール。ブロックより記憶に残りにくいであろう。
再入会のためいちいち、
メールアドレスを新規作成→アカウント作るための個人情報入力→仲の良い人に連絡→仲の良い人をフォロー→新しくプロフィールをつくる…
とかいうめんどくさい手続きを踏むことになっても、自分にとってはそれが「手っ取り早い」のだ。
理由2:変身願望が強い
自分が過去呟いたことに関する事実を消したい。
まずいことを言ってしまったのが問題なら一つ一つ削除したらいい話だ。
だが消したいのは、根本的にそういうことを言ってしまった自分だ。
アカウントすぐ消すマンはプライドが異様に高い。
そんな自分は許せない。
自分が他人にそんな風に見られるなんてもっと耐えられない。
あんなこと言わなきゃよかった。そういう風に見られてしまうだろうか。馬鹿野郎。
そういうキャラクター、性格を背負ってしまったアカウント自体を消して、やり直そう、生まれ変わろうという結論に行き着く。
しかし、アカウントを生まれ変わらせた時点で自分まで変身した気になってしまう。
恥生産機である自分は変わっていないのに、そこで満足してしまう。
そしてまた黒歴史を作っては消し作っては消しのスパイラルだ。
あとがき未満
この記事もそのうちブログごと消えるかもしれないですけどね!!
ブログを消してもなかったことにはならないかもしれない。
けど消せるものは消しておきたくなっちゃう。
割とそれで満足しちゃう。
自分のことを「SNSに向いてない」と思っていたんだけど、
そもそも「人とのコミュニケーションがど素人」で、SNSは相手の顔を見なくていい分初心者にも気軽に挑めるツールで、自分はそちらに逃げてきた。
でも自分は単にそれすら満足に出来ないコミュニケーションど素人なレベルだった。
いや、或いはきっとSNSは初心者向けと見せかけてコミュ玄人向けのツールなんだ。
トラブルとかよく聞くもんね。
自分は素直に身近な人と対面してコミュニケーションのスキルを磨いたほうが賢いのかもしれない。